いつの時代も人間は飽くなき好奇心から未知に挑み、幾度となく自分たちを阻む障害を乗り越え成果を得てきました。
今や冒険の舞台は地球を飛び出し、遥かな宇宙へと移っています。
現在に至るまで数多くの地球外探査が実施されてきましたが、その冒険の数だけ人々の血と汗と涙、宇宙のロマンが織りなす極上のドラマが生まれてきました。
今回はその中でも、小惑星イトカワを目指した日本の探査機はやぶさの軌跡について紹介していきたいと思います。
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探査機はやぶさとは
第61回国際宇宙会議で展示された「はやぶさ」の模型(1/2スケール)
はやぶさは、宇宙科学研究所(ISAS(アイサス):Institute of Space and Astronautical Science )によって打ち上げられた小惑星探査機です。
2003年5月9日 13時29分25秒(日本時間)に打ち上げられ、小惑星イトカワを目指し2010年6月13日 22時51分に地球に帰還、ミッションを終了しました。
合計60億kmの旅を終え小惑星イトカワのサンプルを持ち帰るという世界初の偉業を成し遂げたはやぶさは、世界に日本の技術力の高さを示すとともに多くの人々に感動を与えました。
はやぶさの後継機であるはやぶさ2は、イトカワ探査の過程で明らかとなった問題点の改良がなされた準同型機で、現在進行中の小惑星リュウグウの探査でもはやぶさから得られた教訓が活かされています。
目的
小惑星イトカワの探査の目的としては、大きく2つが挙げられます。
イオンエンジンの実用実験
キセノンイオンエンジン
小惑星イトカワの探査ミッションにおいて、はやぶさに搭載する「イオンエンジン」の実用実験が大きな目的のひとつでした。
当時はヒドラジン系の化学物質を燃焼させて推力を得る「化学推進」が主流でしたが非常に燃費が悪く、長距離を長時間かけて航行する宇宙探査において探査機の燃費問題は解決すべき大きな課題のひとつでした。
そこで、はやぶさにも搭載された「イオンエンジン(電気推進)」を用いての小惑星探査が提案されました。
イオンエンジンでは、陽イオン源から発生させた陽イオンが負電極に向かって加速する際の反作用を利用して推進します。
最大推力こそ化学推進には及ばないものの、イオンエンジンの比推力(推進剤の使用量に対して得られる推進力)高さは圧倒的で、地球外天体の探査にイオンエンジンを実用したのはやぶさが世界初でした。
イオンエンジンの概念図
はやぶさは、イオンエンジンを用いた「宇宙空間での推進」「長期稼働」「地球スイングバイによる加速操作」を成し遂げ、地球外探査におけるイオンエンジンの優位性を世界に証明しました。
世界中に称賛された日本の技術力ですが、はやぶさに搭載するためのイオンエンジン開発は壮絶を極め、詳細はここでは書き尽くせません(◎_◎;)
どうして知りたいというかたは「イオンエンジンによる動力航行 (宇宙工学シリーズ)
イオンエンジンの詳細な仕組みや、エンジニアの一人である國仲均教授(現はやぶさ2プロジェクトリーダー)の変態的ともいえる技術・努力が200ページ以上に渡って解説してあり、ニュースやバラエティなどのテレビメディアでは知り得なかった情報がこの一冊に詰まっています。
専門書ですが宇宙に興味のある方には非常に楽しめる構成となっていますので、これから宇宙工学を専攻したい、エンジニアを目指したいといった方に強くおすすめいたします(*’▽’)
小惑星のサンプル入手
小惑星イトカワの探査の目的の本命ともいえるのが、イトカワの一部を採取し地球に持ち帰ることです。
イオンエンジンの実用に続き、小惑星からのサンプルリターン計画もまた世界初の試みです。
「小惑星の石を取ってくる」と一聞しただけでは、とか、何かメリットあるの?とか、何がそんなに難しいの?と思ってしまう方も多い事でしょう。
その辺について詳しく解説していきます。
小惑星探査のメリット
まず小惑星探査のメリットについてです。
私たちが暮らす地球や他の惑星は、もとは小惑星などの小さな天体が集まってできたと考えられています。
つまり、惑星や私たち生命を構成する成分は元は小惑星からもたらされた可能性が高いのです。
そのため、小惑星の調査は惑星系の進化や生命誕生の秘密を解く上で非常に有意義なのです。
イトカワが探査の目的地として選ばれた理由は、工学的、技術的観点から”行きやすそう”だったからです。
はやぶさでの小惑星探査は実験的意味合いが強いため、まあ当然と言えば当然の理由です。
今後、小惑星の観測技術と探査技術がもっと進歩すれば、探査対象の選定基準は”試験に向いているか”ではなく”人類に有益かどうか”という観点に変わっていくことでしょう。
小惑星探査の難しさ
はやぶさによるイトカワの探査において一番の難関はサンプルの回収です。
サンプルを回収するためには、小惑星の地表に接触しなければなりませんが、これがとても難しいのです。
小惑星は惑星などの天体と比べると小さく、球体ではなくジャガイモのようないびつな形の場合が多く地表面の重力の強さが一様ではありません。
イトカワも例外ではなく、地表に適切な速度で近づくためには重力の強さの見極めが重要になってきます。
さらに、イトカワの表面は大小様々な岩石がゴロゴロと転がっており、着陸場所の選定も慎重に行わなければいけませんでした。
イトカワの3D重力マップモデル
そして、無事にイトカワに接触できたとして、どのようにサンプルを採取するかという問題が残っています。
はやぶさの場合、気体から伸びるサンプラーホーンという筒を地表に接触させ、弾丸(プロジェクタイル)を下方へ打ち出し飛散した岩石を機体内に吸い込むという方法をとっていました。
降下して地表に接触するのは一瞬ですぐに上昇を開始するため、そのサンプリングの様子がまるでハヤブサの狩りのようだということで、探査機の名前の由来ともなりました。
はやぶさのサンプル回収については、下の動画でさらに詳しく解説されています。
さらにさらに、仮にサンプルの回収がうまくいったとしても、それを地球まで持って帰らないといけません。
行きだけでも大変なのに帰ってこないといけないのです。
多くの地球外探査機は役目を終えると、そのまま宇宙空間に放置するか天体に墜落させるなど片道コースの場合が多く帰りのことは考えていません。
しかし、はやぶさはそうもいきません。
大事な大事なサンプルを無事に地球に届けるまではお役御免とならないのです。
イオンエンジンが採用されたのは、地球からイトカワまでの往路で長時間稼働させる必要があったためです。
とはいえ、イオンエンジンの実用ははやぶさが世界初だし、サンプルの回収だって世界初だし…。
…ここまで言えばイトカワの探査がいかに難しいものであったかがわかっていただけたのではないでしょうか。
いやいや、よくこんな難行をやり遂げたものですよ(;・∀・)
成果
探査機はやぶさによる小惑星イトカワの探査では、数々の偉大な成果が得られました。
- イオンエンジンでの飛行とスイングバイ
- イトカワの観測
- 小惑星表面への接触およびサンプリング
- 数々のアクシデントに対するリカバリー
- イトカワのサンプルを地球に持ち帰り、分析に至った
- 世界中の人々に感動を与えてくれた ☜ 最重要
はやぶさの軌跡
数々の高難易度ミッションと人々の期待を課せられ、見事にイトカワ探査をやり遂げたはやぶさですが、その道のりは非常に険しいものでした。
トラブル発生の度に、プロジェクトメンバーは頭を抱えるも持ち前の技術力と機転でその全てをクリアしてきました。
そんなはやぶさの軌跡を追っていきましょう。
打ち上げ~イトカワ到達
2003年5月9日:内之浦宇宙観測所にてM-Vロケット5号機打ち上げ。「はやぶさ」と命名されたのはこの日。
2003年5月27日:イオンエンジンの動作開始。イトカワへ。
2003年11月4日:大規模太陽フレアに遭遇。太陽光パネルが破損した影響でイトカワ到達の予定時期が2005年6月から2005年9月へと3か月延びた。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2004年5月19日:イオンエンジン併用の地球スイングバイを成功させるという世界初の偉業を成し遂げる。
2005年9月4日:点状ではあったがイトカワを撮影。
イトカワ観測~着陸
2005年9月12日:イトカワとのランデブー成功。岩石だらけの地表面を観測。「着陸場所が無い」とプロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月4日:1度目のリハーサル降下。しかし地表から700mで予定軌道を外れたため、リハーサル中止。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月9日:2度目のリハーサル降下によって高度75メートルまで接近できた。
2005年11月12日:3度目のリハーサル降下によって高度55メートルまで接近し、探査機「ミネルバ」を投下するも着陸に失敗し宇宙の彼方へ。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月20日:1回目の着陸に挑戦し2回のバウンドの後、約30分の着陸に成功するもサンプル採取用の弾丸が発射されていなかった。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月26日:2回目の着陸に挑戦し、予定通り1秒間の着陸と(結局、弾丸は発射されていなかったが)サンプリングを成功させた。
イトカワ離脱~トラブル多発からのリカバリー
2005年11月26日:2回目の着陸、サンプリング後、即座にイトカワから離脱。が、スラスタのひとつからヒドラジンが機体内部に漏洩していることが判明。弁を閉鎖し漏洩は食い止めたがプロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月27日:燃料の漏洩による気化でバッテリーの温度が下がり機能低下。電源を失うとともにスラスターの推力が低下し、はやぶさの姿勢が大きく乱れた。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。
2005年11月28日:姿勢が乱れたためアンテナが地球を向かず通信途絶。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。が、彼らは諦めていなかった。
2005年11月29日:LGAによる低速度通信が回復。
2005年12月4日:壊れた化学推進スラスターの代わりにキセノンガスを直接噴射することで姿勢制御に成功。MGAによる256bpsの通信が回復。
2005年12月7日:受信データを解析した結果、11月26日の着陸時に弾丸が発射されていなかった可能性が高くなった。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。(弾丸は発射は失敗だったが着陸の衝撃でサンプリングは成功していた。)
2005年12月8日:機体が原因不明の味噌すり運動をはじめ、アンテナの向きが不安定となり2度目の通信途絶。プロジェクトチームのメンバーは頭を抱えた。が、やっぱり彼らは諦めていなかった。
2006年1月23日:2度目の通信途絶から1か月半ぶりに、LGAによる低速度通信の電波が地球に届く。太陽光を利用し少しづつ充電し自動で姿勢を立て直すギミックにより計画の失敗を回避する。
2006年1月26日:燃料や酸化剤をトラブルにより失っていたため、未だに回転が止まらず姿勢が安定しないはやぶさであったが、この事態を想定し微妙に噴射口をずらしておいた中和機からキセノンガスを噴射し回転速度の緩和に成功。LGAによる8 bpsでのテレメトリーデータの受信機能が回復。
2006年3月4日:姿勢制御を取り戻す。MGAによる32 bpsでのテレメトリーデータの受信機能が回復。
2006年3月6日:3か月ぶりに位置と速度が特定される。
2006年4月25日:地球帰還に備えて巡行運転を開始。
計画中にどんだけトラブル起きるの!って話ですよ(◎_◎;)
しかし、それら全てのアクシデントに対して事前に準備をしていたり、機転をきかせる柔軟さを持つプロジェクトメンバーの方々には脱帽です。
下の動画で、はやぶさに詰め込まれた日本の変態技術がうまくまとめられていますので、是非見てみて下さい。
はやぶさの帰還
数々のトラブルを乗り越え、ついに地球への帰還です。
2010年1月13日:地球の引力圏内を通過することが確実となる。
2010年4月4日:地球への精密誘導を開始。
2010年5月12日:スタートラッカーが地球と月を捉える。
2010年5月23日:地球外縁部への精密誘導を開始。
2010年6月13日:そしてついに待ち望んだ日。はやぶさ、地球への帰還を果たす。
下にはやぶさ帰還の様子の動画を張っておきます。
10:54~のはやぶさの大気圏突入から燃え尽きるシーンは涙をこらえることができませんでした。
おかえり!そしてお疲れ様、はやぶさ!感動をありがとう!
私たちの「はやぶさ」 その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか
まとめ
さてさて、今回は小惑星イトカワの探査をやり遂げた探査機はやぶさについて紹介してい参りましたがいかがでしたでしょうか?
数々の偉業を成し遂げ、多くの人々に感動を与えてくれたはやぶさには感謝しかありません。拍手ッ(*´▽`*)!
現在ははやぶさの魂を受け継いだはやぶさ2による小惑星リュウグウの探査プロジェクトが進行中です。
きっと新たな発見と感動を再び私たちに与えてくれることでしょう。
楽しみですね(*’▽’)
ではでは、次回の宇宙情報も乞うご期待!
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